あくいの孫

25歳でまだ大学生やってる人間です

父とタバコと

 昔からタバコが嫌いだった。流れ出る煙は臭くて、吸い込んでしまうとしばらくむせる。おまけに体には毒しか与えない。そのタバコを両親はずっと吸っていた。家の中でも車の中でも、ひどい時は路上でも。週1でセブンスターを2カートン買いに行っていたと言えば、どれだけヘビースモーカーだったかよくわかるだろう。家の壁は黄ばむし、車の中は気持ち悪い臭いが染み込んでいた。至る所にタバコの跡があって、とにかく嫌いだった。
 高校生になった頃、自分は英語ディベートを始めたのだが、英語ディベートの初心者向け論題として「"THW ban tabacco"(本議会はタバコを禁止する)」というのがあった。ディベートなので賛成派と反対派の2つに別れるわけだが、賛成派でもっぱら使われる主張として「"harm to other"(他者への害)」というのがある。要は他人に害を及ぼす場合はその権利を認めるべきではない、ということだ。この主張の是非はともかくとして、自分はこの意見と出会ってしまったのだ。より自分のタバコ嫌いを正当化する意見とだ。それを基に親のタバコ批判しまくり、なんとかタバコを家の中からベランダへと追い出すことに成功し、しばらくはベランダに行く両親を鼻高々と見下ろしていた。

 

 そもそもうちの親は二人ともタバコの仕事をしていた。仕事を通して二人は出会い、結婚した。母は結婚を機に辞めたが、父は今でもその仕事を続けている。自分はタバコ嫌いを公言していたが、同時に「タバコに育てられた子供」だったし、何なら「タバコのおかげで生まれた子供」でもあった。周りからはよくそのことでからかわれており、高校生になった頃からは、むしろ自虐ネタとして扱うようにはなったが、タバコが嫌いだったからこそできたのであって、自分がタバコを吸うことは一生ないと思っていた。
 大学に入ってしばらくした頃、高校時代の友人と飲んでると、そいつがいきなりタバコを吸い始めた。大学の先輩からもらいタバコをしてから自然と吸うようになったそうだ。そいつに勧められて一口吸ってみた。とても吸えたものじゃなかった。喉に悪いのが一瞬で理解できたし、口の中も炭を食べたような苦味でいっぱいだった。とにかく気持ち悪かった。そのときは自分の吸わないという気持ちを一層強くしたように思えた。でもなぜかそいつと飲むたびにもらいタバコをしていた。つい最近までなぜだかはわからなかった。

 

 タバコを見ると、必ず父を思い出す。仕方ないと言わせてほしい。なぜなら家に帰れば父が吸ってる姿をよく見たし、父の職業もそうだった。自分の中では、常にタバコと父はイコールで結ばれていた。そして、そのタバコを吸うことは、自分にとってどこか父に負けたような、あそこまで意固地に嫌っていたものに頼ってしまうことへの恥や屈辱といったことを意味していた。
 父はあまりしゃべる人ではなかった。と言っても、テレワークの会議中によく笑う所を見かけるし、自分の好きなことについてはヘラヘラしながら早口で話すので、そういった感情がないわけではないことは知っている。ただ自分とはしゃべらなかった。テストの点数を聞いてくるわけでもないし、遊んでいるのを見て厳しく𠮟りつけるわけでもない。ただたまに小言を言って、それで終わりだ。自分がこれしたい、あれしたいと言っても真正面から取り合ってくれるわけでもなく、面倒くさそうにいなして終わりだ。だから自分は父に頼りたくなかった。

 

 タバコを吸うようになったのはここ数カ月の話だ。正確には買うようになったと言うべきか。飲んでるときに吸うと、深く潜った後に思いっきり息を吸えたような感覚と、酒で上がりきったテンションを鎮めてくれる優しさみたいなもので、気に入ってしまった。ここ数カ月、卒論が上手くいかず、それに伴って精神もぐしゃぐしゃになってた自分が、久々に落ち着けたような気がした。
 タバコを吸うようになってから1ヶ月近く後に父と二人で飲みに行った。そこで正直に「もっと優しくしてほしかった」と、打ち明けた。父はそれを「今更なんだ」と笑い飛ばしたが、自分はそれが言えてすっきりした。たった0.1mgの深呼吸が、自分に優しさを与えてくれた。