あくいの孫

25歳でまだ大学生やってる人間です

威嚇するように読書する

 スーツによって縛り上げられた自分の身体は、順調に"社会人"と化しつつある。
 4月から新卒で働き始めた自分は、毎朝6時には起きて、満員電車に乗り、研修を受け流しては、夜6時に帰る生活を続けている。正直まだ一ヶ月と経っていないというのに、こんなにつらいと思わなかった。
 眠い身体を無理矢理コーヒーで覚醒させ、上司の評価を気にして胸を張り続けなければならない状況は、想像以上に日常の自分を蝕んでくる。マナー講座で受けた礼の仕方を飲食店でもやってしまうし、スーツを着て偉そうに疲れた顔をするおっさんは、(取引先だったらどうしよう)と思って、誰彼関係なくヘコヘコしそうになる。
 特に通勤時間は大変だ。まだ労働ではないが、会社に向かうための、頭の中が切り替えられつつある時間だ。絶対に満員電車に乗るので体調も悪くなるし、おまけにスーツのおっさんも多い。最近は席に座れなかったら、かなりイライラしてしまう。きっとこれが"社会人"になるということだと考え、感情を抑え込もうとしたが、余計にイライラし、目の前のおっさんをブン殴りたい衝動にすら駆られた。
 だからこそ、威嚇するように読書を始めた。逃げるのではなく、威嚇だ。感情を読んでる本のタイトルで表現してやろうと思った。ブックカバーをせずに、自分の内心をまじまじと見せつけてやろうと思った。

 そこで最初に選んだのは『死なないための暴力論』(著:森元斎)だった。読みかけの本だったので都合も良かったし、何より朝の回らない頭でも読みやすかった。著者の森さんは長崎大学で教鞭を取る人で、現在の大学生が求めるものを理解しているからか、口語調で書かれて場面も多く、もはや大学生舐めてるだろと思う程度には優しい文章になっていた。(あと自虐の仕方が森見登美彦っぽく感じた。)
 内容も現在の自分には良かった。働き始めたとはいえ、自分は社会に染まり切って、クソどうでもいい仕事で他者を圧迫し続けるような生き方には、できる限り抵抗して行きたいと思った。この本はそのための先人たちの戦術・戦略や、振るうべき暴力のあり方を示してくれる。また、ガンディーやネルソン・マンデラの行った非暴力運動が、味方をつけるための"賢い"やり方であるとして、デモ批判の文脈でインターネット軍師たちに持て囃されてはいるが、その欺瞞の打破にも一役買っている。
 この本の最も良いところはタイトルがセンセーショナルなことだ。「死」と「暴力」、この2つがあるだけで嫌悪感は止まらないだろう。そもそも世の中の大半の人は、「暴力」と「論」が結びつくことなど想像しないだろうし、そんな野蛮な本を読む若者を前にしたおっさんは、(けしからん奴だ)とイライラすること間違いなしだ。その意味で、この本は最適だった。

 他にも幾つか読んだが、あとは『布団の中から蜂起せよ:アナーカフェミニズムのための断章』(著:高島鈴)だ。この本については後ほどより詳しく書こうと思うが、一度ここで触れておきたい。
 まずタイトルがいい。朝の満員電車で「布団」という文字が見えれば、お家を恋しくさせるし、「蜂起」という言葉もわかりやすく反体制的でセンセーショナルだ。少なくとも"社会人"が読むような本ではないことが一発でわかる。染まりたくない無邪気な若者の証左でしかない。
 森さんの本が、抵抗のあり方として「陽」とするなら、高島さんの方は「陰」だ。中身は高島さんのエッセイで、過去の失敗や後悔と、本や映画の内容を重ねながら書いたり書かなかったりしている。たいてい自身の失敗や後悔はそのままだが、(それでも)と思って抵抗する意志を保つための想いを語ってくれた。抵抗に成功する方法を教える森さんの本とは対照的だ。だが、「陽」と「陰」に必ず「核」となるものがあるように、この2つの本は「抵抗」という文脈で繋がっていた。
 
 朝、電車に押し乗り、吊り革に捕まって身体を安定させる。安定させたところで本を鞄から取り出し、目の前の人に見せつけるように本を開く。
 本は現実と自分を分断し、書き手と自分の2人だけにしてくれる。現実と向き合うのは本に任せる。これが自分の内心なのだと、本が勝手に証明してくれる。スーツに縛り上げられた身体は、社会に染まった人間のように映るが、内心は見せていない。これが自分なりの、"社会人"にならないための抵抗なのだ。本に威嚇してもらおう。

2月11日

伊豆
 祖母の家に来た。本当は1月の終わりに来る予定だったけど、つい行くのをやめてしまった。相変わらず迷惑をかけてしまう。そう思って頑張って来ようと思ったが、朝なかなか起きられなかった。全然荷造りもしてなかったので、もう時間的に危ないというくらいで起きて、なんとか最低限の物だけ詰めて行くことにした。行くことにした、と言うと自分で決めているように感じるが、どちらかと言えば行かざるをえなかったという方が正しいように感じる。
 ここ数日、どんどん色んな人が信用できなくなっている。笑っているのはおれの話なのかおれ自身のことなのか、怖くなってしまっている。もう働き始めるのも怖くなって全てをやめてしまいたいと思いながら、新幹線に乗っていた。(本当にギリギリだったので鈍行で行くのは諦めた。)
 なんとか14時前に三島駅に着いて、バスに乗る。西伊豆を走るバスは日に2本しか走っていないので、これを逃すと祖母に会えるのが明日になってしまう。バスに乗れた時はかなりホッとした。だが鬱屈した気持ちがやめられない。とりあえず持ってきた本を読むことにした。
『寒い国のラーゲリで父は死んだ』
 2022年に上映された『ラーゲリより愛を込めて』で主人公だった山本幡男の息子によるエッセイだ。2023年の大学のイベントで関連行事をやらせてもらった時、実際にご本人に会って本にサインももらったので、思い出深い。読んでると、本の内容とは関係なしに、あの時の優しい顕一さんの言葉や、けっこう努力していた自分のことを思い出す。妙に勇気が出るようで、同時に有り難くて涙が出る。頑張ってみようと、そう思えた。
 祖母の家に着いて、色々話した。祖父の墓参りもして、やっぱり色々頑張ろうと、そう思えた。とりあえず手始めに就職先の事前研修をかなり進めた。一個ずつ頑張っていこう。
 

1月18日

 結局今日も寝られなかった。ベットに潜り込みはするけれど、体がむずむずして落ち着かない。寝られない日はだいたいそう。起きて何かをするでもなく、とりあえずずっとスマホを触ってる。気づいたら4時半だ。バイトで7時半には家を出なければならないので、もうしょうがないから洗濯をして、朝ごはんを作った。朝から豚丼を食べる。久々で美味い。
 
 7時半になる前に家を出たおかげで、電車はかなり空いていた。悪くない。車中でも寝られなかったので、久々に森見登美彦の『美女と竹林』を読み始めた。卒論をやってた時期はそのための本をひたすら読んでたので、ただの娯楽っぽい本を読むのは久々だ。怠惰の言い訳を何ページにも渡って、たいそう偉そうに書く癖に、読み手にはちゃんと俗っぽく伝わるのがすごい。
 バイト先に着いてから、朝のルーティンをこなす。久々の出勤だ。コーヒーが体に染みる。最近露骨に避けていたおかげか、コーヒーの効果がかなり効いた。おかげで午前中は全く眠くなかった。だが午後はそうもいかず、ずっとうつらうつらとしていた。眠い。ひたすら眠い。たぶん1分くらい眠っていたかもしれない。周りには気付かれてると思う。

 業務が終わって帰る。帰りの電車はかなりしんどかった。すぐ座れて良かった。最寄りに着いたが、疲れた体を押して近隣の図書館に向かう。返しそびれた本があるので頑張って、もう頑張るような意思はなかったけれど、歩いた。返して、家に帰った。
 家に着くとすぐベッドに入った。久しぶりに1時間ほど寝た。起きてから、風呂に入り、ご飯を食べて、寝た。今日はちゃんと寝られた。

追記
 家に帰ってから、妙に寂しかったのを忘れていた。孤独だ。この孤独に一生は耐えられなさそうだ。一瞬マッチングアプリを入れて、すぐ消した。

1月17日

 正確には1月16日の続きだ。0時過ぎてからも寝られず、期末レポートの内容を確認したり、内定先の事前研修を進めたりしていた。飽きた頃、ゼミの研究室から借りてきた辺見庸の「瓦礫の中から言葉を」を読むことにした。コーヒー飲まないと集中できない人間なので、最初YouTubeで適当なBGMを流してもいたが、それもどこか、いまだに何かに頼らないと何かができない自分が嫌になってやめた。とりあえず読み切った。ところどころ辺見の読んだ本の引用をもとに話を広げていたため、理解が難しい箇所もあったが、東日本大震災の後に書かれていて、復興のための全体主義的な空気に耐えられない彼の言葉が真摯に表れていて、今読んでよかったと思う。
 結局朝5時になってしまったので、とりあえず朝ごはんを食べて少し散歩をした。といっても図書館に返し忘れた本があったので、それを返すついでに色々歩いただけだ。道中酔っ払ったおっさんが寝ていたのでとりあえず起こした。
帰ってからしこたま寝た。6時からずっと寝た。本当は研究室に行って本を返すつもりだったけど、体が動かなかった。1人の時の自分の弱さに、いまだに抗えないのが悔しい。

 17時からバイトだったが、ギリギリまで行くかどうか悩んでいた。選択肢は本来ないけれど、行くか迷うくらいには今はメンタルが弱っている。とりあえず体を起こして髪の毛をセットして向かった。えらいと思う。でもそう思う自分が好きではない。
 年明け久々に出勤したので、どこか感覚を忘れている。とりあえず体は動いたが、接客の脳みそが抜けている。まだお客さんとの会話がぎこちない。
 会話をしている中で、ずっとどこかお客さんのことを冷笑的に見ている自分がいる。笑いはするし、相槌も打つが、心の底では違うことを考えている。そういう素直じゃない自分が好きではない。そして、お客さんからもそう思われてそうで、どこか嫌だ。4年半も勤めたが、相変わらずずっと怖い。

 帰ってきて一番に風呂に入った。これはえらい。自分にとって風呂に入ることはけっこうな難題だから。素直にえらいと思う。
 明日も帰ってきたら最初に風呂に入ろう。

父とタバコと

 昔からタバコが嫌いだった。流れ出る煙は臭くて、吸い込んでしまうとしばらくむせる。おまけに体には毒しか与えない。そのタバコを両親はずっと吸っていた。家の中でも車の中でも、ひどい時は路上でも。週1でセブンスターを2カートン買いに行っていたと言えば、どれだけヘビースモーカーだったかよくわかるだろう。家の壁は黄ばむし、車の中は気持ち悪い臭いが染み込んでいた。至る所にタバコの跡があって、とにかく嫌いだった。
 高校生になった頃、自分は英語ディベートを始めたのだが、英語ディベートの初心者向け論題として「"THW ban tabacco"(本議会はタバコを禁止する)」というのがあった。ディベートなので賛成派と反対派の2つに別れるわけだが、賛成派でもっぱら使われる主張として「"harm to other"(他者への害)」というのがある。要は他人に害を及ぼす場合はその権利を認めるべきではない、ということだ。この主張の是非はともかくとして、自分はこの意見と出会ってしまったのだ。より自分のタバコ嫌いを正当化する意見とだ。それを基に親のタバコ批判しまくり、なんとかタバコを家の中からベランダへと追い出すことに成功し、しばらくはベランダに行く両親を鼻高々と見下ろしていた。

 

 そもそもうちの親は二人ともタバコの仕事をしていた。仕事を通して二人は出会い、結婚した。母は結婚を機に辞めたが、父は今でもその仕事を続けている。自分はタバコ嫌いを公言していたが、同時に「タバコに育てられた子供」だったし、何なら「タバコのおかげで生まれた子供」でもあった。周りからはよくそのことでからかわれており、高校生になった頃からは、むしろ自虐ネタとして扱うようにはなったが、タバコが嫌いだったからこそできたのであって、自分がタバコを吸うことは一生ないと思っていた。
 大学に入ってしばらくした頃、高校時代の友人と飲んでると、そいつがいきなりタバコを吸い始めた。大学の先輩からもらいタバコをしてから自然と吸うようになったそうだ。そいつに勧められて一口吸ってみた。とても吸えたものじゃなかった。喉に悪いのが一瞬で理解できたし、口の中も炭を食べたような苦味でいっぱいだった。とにかく気持ち悪かった。そのときは自分の吸わないという気持ちを一層強くしたように思えた。でもなぜかそいつと飲むたびにもらいタバコをしていた。つい最近までなぜだかはわからなかった。

 

 タバコを見ると、必ず父を思い出す。仕方ないと言わせてほしい。なぜなら家に帰れば父が吸ってる姿をよく見たし、父の職業もそうだった。自分の中では、常にタバコと父はイコールで結ばれていた。そして、そのタバコを吸うことは、自分にとってどこか父に負けたような、あそこまで意固地に嫌っていたものに頼ってしまうことへの恥や屈辱といったことを意味していた。
 父はあまりしゃべる人ではなかった。と言っても、テレワークの会議中によく笑う所を見かけるし、自分の好きなことについてはヘラヘラしながら早口で話すので、そういった感情がないわけではないことは知っている。ただ自分とはしゃべらなかった。テストの点数を聞いてくるわけでもないし、遊んでいるのを見て厳しく𠮟りつけるわけでもない。ただたまに小言を言って、それで終わりだ。自分がこれしたい、あれしたいと言っても真正面から取り合ってくれるわけでもなく、面倒くさそうにいなして終わりだ。だから自分は父に頼りたくなかった。

 

 タバコを吸うようになったのはここ数カ月の話だ。正確には買うようになったと言うべきか。飲んでるときに吸うと、深く潜った後に思いっきり息を吸えたような感覚と、酒で上がりきったテンションを鎮めてくれる優しさみたいなもので、気に入ってしまった。ここ数カ月、卒論が上手くいかず、それに伴って精神もぐしゃぐしゃになってた自分が、久々に落ち着けたような気がした。
 タバコを吸うようになってから1ヶ月近く後に父と二人で飲みに行った。そこで正直に「もっと優しくしてほしかった」と、打ち明けた。父はそれを「今更なんだ」と笑い飛ばしたが、自分はそれが言えてすっきりした。たった0.1mgの深呼吸が、自分に優しさを与えてくれた。

10月15日

大泉学園

 今日もバイトだ。昨日稼いだがまだ足りない。25日になれば給料がたんまり入るのに。まさしく日銭を稼がなきゃならなかった。明日いきるのですらきついものを感じる。

 今日は大泉学園方面でバイトだ。普段単発バイトの前で時間がある時は、最寄りに行ってカフェとかで勉強しているものだが、残念ながらそれをする金すらない。仕方なく家でやろうかとも思ったが、これまた昨日に引き続き、妙にやる気が出ない。とりあえずスマホにかじりつくのは止めようと思い、読み途中だった燃え殻さんの『ブルーハワイ』を読む。優しい文章だと思う。でも、最近響かなくなってきてしまった。自分の弱さと向き合うのをやめたせいだと思う。そのおかげで、本来やりたいことをやれるようになりつつあるが、弱さと向き合うのも生涯かけてやりたいことの一つだから、この本は捨ててはならないものだ。これは忘れないでおこう。

 時間になり、バスに乗る。久々に乗ったが、相変わらず揺れに慣れない。乗り物酔いが激しいので、車中では寝てるか外の景色を見てるかしかできない。といっても、初めて見る景色だったので、少し面白かった。東京だし、住宅街なのに、田舎のような侘しさを感じた。
 バイト先は、失礼だが、少し狭くて小汚い居酒屋だった。昨今赤提灯が提がっているような、小汚い居酒屋が好きだという人も多いが、たいてい小汚い居酒屋のバックヤードというのは薄汚いのだ。モノが散乱し、休憩時にご飯を食べる机は油か何かでベタついてる。まあ4,5時間耐えればいいと思って、そういうのは我慢している。
 店が開いた。少し経つとお客さんがちらほらやって来て、店長は忙しそうだった。が、自分と言えばやることはオーダーを取って、料理を出すことくらいだったので、大して忙しくなかった。しかも19時の半ばごろには誰一人お客さんはいなくなっていた。店長は椅子に座って煙草を吸いながらスマホをいじっており、それならと、自分も店の玄関から見えにくいところに座り、スマホをいじっていた。そのまま特に何もなく終わった。

 

追記
 1年ぐらい前に長いこと自分が沼っていた先輩に連絡を取った。当時は自分がいないと可哀想とか思ってしまっていた、むしろ自分が可哀想な奴になっていた。先輩と会うと翌日には、恋愛的な意味で好かれていない自分に絶望してダウン状態に入っていたので、自分から連絡とるのも、会うのもやめていた。
 カレンダーを見たときにその先輩の誕生日が載っていた。それもあって思い出し、また最近どうしてるかなと思ったので、連絡を取った。ほぼ社交辞令みたいな文章で終わったが、誕生日には改めて連絡を取ろうと思う。まだ連絡を取る時に、自分の中でもやもやした嫌な気分が湧いてくるが、今までとは違う話ができる気もする。なんとなくだけど。

10月14日

神泉
 来週は飲み会と高尾山に行く予定があるのに、今口座の残高には3桁(万からの単位じゃなくて本当に零からの意味)しかない。これはさすがに洒落にならないと思い、数日前からこの土日で入れる単発バイトを探し続けていた。原則当日払いのところがいい。だが、昨夜申し込んだところから連絡がなく、職場との交通時間を考えると、もうギリギリだ。こういう時無視されてるかもしれないと考えると、妙に応える。
 その時に、もう一件新しいバイトの応募が出た。応募すると即決され、嬉しく思うと同時に、なぜか「やってやったぜ」という気持ちが湧いてきて、先に申し込んでいたところの応募を勢いよく取り消していた。
 本当にバイトが決まらなければ、久々に運動しようという気持ちもあり、部活に顔を出そうと思っていたが、やはり行けないと断った。後輩に期待させといて行けないというのは申し訳ないので、来週は少し予定をずらして行くと約束した。
 バイトが始まるまでは時間があるので、卒論でもやろうかと思ったが、いまいち動けない。色々あって気持ちは定まってきたが、後ろに予定があったり、他にやることがあったりする、こういうところでやはり弱いなとも思う。仕方ないので、バイト先近くの公園で本を読むことにして、家を出ることにした。

 神泉で降りたのは初めてだった。公園は見つけていたが、色々散策してみたくなるような街並みに感じた。いい飲み屋やカフェが多いと、やはり開拓欲が湧く。
 1時間前には着いたので、公園で本を読んでいた。公園には鉄棒と公衆トイレとベンチくらいしかなく、ベンチの周りには煙草の吸殻が散っていて、下にはビールの空き缶が整理されていた。3つあったベンチのうち2つには、似たような年頃の男が1人ずつ座っており、空いている1つに座って、ベンチはすべて埋まった。途中親子が来て、何かを投げ合って遊んでおり、妙に居心地が悪かった。

 バイトの時間になったので向かった。今回のバイト先はカフェっぽいところで店内には女子女子女子男子女子といった感じで、今年25になるムサい酒飲みには、またも居心地悪く感じた。
 着替えを借りて、とりあえず初めに「真面目にやります」という顔と、客への挨拶だけはハキハキとやった。なんとなく周りからは自分が、「真面目だがから回っているちょっと残念な奴」みたいな評価がついてると思っている。でも悪く言われたことはないので、初対面はこの感じでいいだろうとも思ってる。
 店長だけ男性で、他のスタッフは女性だった。けっこうラフに楽しくやってるようで、お喋りしながらやってて作業は遅いけど、特に何も言われない。なんというか、「令和の職場」って感じがした。自分のバイト先と比較して、むしろ気が楽になった。
 ホール担当でお客さんにサーブをする役割だったが、ムサい自分をどう場に馴染ませようか考えていた。とりあえず、いつもより少し低めの声にして、「無骨だが気のいい兄ちゃん」にしてみた。少しは恥ずかしくなくなった。
 他のスタッフがいなくなり、店長と2人きりだったものの、何事もなく淡々と時間が進み、最後カフェの雰囲気には、少し大人すぎる男女が残っていた。最初は会話内容から不倫かとも思っていたが、もう少し聞くと離婚した女性と未婚の男、のようだった。たぶん。店長と予想しながら笑っていた時間は楽しかった。「飲食の醍醐味の一つは人間観察だよね」って。

 バイトが終わって、なんとなく渋谷まで歩いてみた。渋谷に来たのは1ヶ月以上振りだった。少し、キャッチの女子が増えた気がして、少しむなしい。どんどん変な街になってる気がする。むなしさから逃げるように、電車に乗って帰った。